大臣が侵略戦争を認めた日 85年小川文部相答弁

前口上
以下の文章は、歴史教科書検定が問題となった1982年に小川平次文部大臣(当時)が、日中戦争侵略戦争と認めた際の会議録である。「日中戦争侵略戦争である」と国務大臣が明言したのはこれがはじめてであり、*1戦争責任問題を語る上でも重要であると考え、ここにアップする次第である。なお会議録中にある「小川国務大臣」は小川平次文部大臣(当時)のこと、「木島委員」とは日本社会党の木島喜兵衛議員のことである。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/096/0170/09608060170019a.html

82/8/6 衆議院文教委員会
○木島委員 
(…) いままで文部省は、たとえば中国なら中国に対して、一つは、共同声明は尊重する、学校教育においてもそれは重視する、第二は、謙虚に耳を傾ける、第三は、誤解を解くように真意を伝える、この三項目ですね。
 そこで、まず第一の共同声明[日中共同声明のこと]でありますけれども、責任を痛感し、深く反省するとは、何に対して責任を痛感し、深く反省するというのでありますか。共同声明の、責任を痛感し、深く反省するとは、一体何に対して痛感するのですか、反省するのですか。
○小川国務大臣 かつての戦争におきまして中国に対して甚大な損害を与えたということに対する責任を反省する、申すまでもなくそのような意味でございます。
○木島委員 そのことはまさにおっしゃるとおり共同声明の文章そのものであります。過去において日本国が戦争を通じてという、この過去における日本国の戦争というものは日本にとって正当なるところの戦いであったと御認識でありますか。
○小川国務大臣 私は、きわめて率直に申しますが、これは弁護することのできない戦争であったと考えております。
○木島委員 それを侵略戦争とお考えでありますか。
○小川国務大臣 私は、弁護することのできない戦争と申しましたが、この言葉を他のいかなる言葉に置きかえていただこうとも結構でございます。
○木島委員 結構ということは、侵略戦争と考えてよろしゅうございますか。
○小川国務大臣 御自由でございます。
○木島委員 御自由、どのように理解しても御自由ということでありますけれども、大臣は侵略戦争とお考えになっていらっしゃると考えてよろしゅうございますか。
○小川国務大臣 私の申しましたことをいかなる他の言葉で表現なさっていただこうとも御自由でございます。
○木島委員 確かに第二次世界大戦後の世界情勢によると進撃とか進出ということが当てはまることがきっと多いのでしょう。なぜかと申しますと、侵略というのは武力による進出あるいは侵攻とその支配というものが侵略というものの世界的な常識であります。通説であります。だから、支配がなければ侵攻とか進出ということになるかもしれません。日中戦争という十五年戦争は、大臣御案内のとおり、完全に武力によるところの進出であると同時に、支配をした。したがって、それは侵略である。このことはまた、日本の学者の通説でもあることは文部省も認めておる。
 だから、文部大臣はどういう言葉でもって御理解くださっても御自由ですとおっしゃるけれども、あなた自身はこれを侵略戦争と思っているのか、思っておらないのか。――いや、大臣、そんな役人に相談したって始まらぬのだよ。大臣、僕は、きょう、さっき最初に言いましたように、宮澤さんの代理という意味も含めて、事務的なことでなしに、まさに政治家の、政治問題になっているのですから政治家の話をしたいと思っているのです。そういう意味で、この問題に対するところの、ことに中国通のあなたにとって心を痛めていらっしゃる、その政府の方針の第一が共同声明を尊重するという、その共同声明という、その戦争を通じて中国人民に与えた大きな損害に対して「責任を痛感し、深く反省する。」というその戦争とは一体何か。そのことが明確でないことが今日の一番大きな問題なんでしょう。そうなんじゃないのですか。だからこそ、これを侵略と考えておらないから、調査官等はこれを進出でも侵入でもいいじゃないかということになっておる。そこに問題がある。ここは政治問題になっておるのですから、政治家としての、ことに中国通の小川大臣の真意を聞きたい。
○小川国務大臣 私は弁護の余地なき戦争と申し上げましたが、どうしてもそれで御満足なさらないということであれば、侵略であったと申し上げます。これでよろしゅうございましょうか。

○有島委員 そうなりますと、これはやはり総理大臣にお越しいただかなければならぬな。当委員会に総理大臣もお越しいただくといったこと、これは院の問題でございますから、委員長にお願いして理事会に諮ることでございますけれども。文部大臣としてはそう考えている、政府としても多分そうであろうというような、ちょっとあいまいなんでございますね。
 前回の質疑のときに、文部大臣に質疑申し上げてこのことにつきまして確認をした。一つには、国内で使われている教科書については責任回避する余地なく、これは文部大臣の責任である。このことは御確認になった。それから日中戦争というものが、あるいは満州事変も含んでこれは侵略であった、南京事件は非常に残忍なる行為であった、このことはお認めになったわけです。あのときの認め方は、御説のとおりです、こうおっしゃったわけです。きょう午前中に木島委員からの質問によって、侵略です、こう申せばいいのですかというような、何かちょっと投げやりなお答えであった。これは気になります。
 まず、文部大臣としてめお立場の以前に、いま一人の政治家の立場として、小川代議士はこの日中戦争を侵略行為であった、このように心から思っていらっしゃるのか、あるいは心の幾分かどこかには、いやあれは正当防衛の面も少しあったのだ、こういうふうにお考えでいらっしゃるのか、それを確かめておきたい。どうです。
○小川国務大臣 私は心にもないことを申し上げたつもりはさらさらございません。
○有島委員 したがって――はっきり言っていただきたい。
○小川国務大臣 ちょっと御質疑の意味をはかりかねております。どういうことでございましょう。
○有島委員 日中戦争をどのように評価していらっしゃいますか。
○小川国務大臣 先ほど申し上げたとおりとお答をいたしたつもりでございます。
○有島委員 それをはっきり言っていただきたい。
○小川国務大臣 侵略戦争であるということを明白に申し上げました。
○有島委員 文部大臣というお立場としてもう一遍言っていただけますか。
○小川国務大臣 文部大臣の立場でそのように認識している、こう申し上げます。
○有島委員 閣僚の一人としてというのはしつこいみたいだけれども、これはいまの内閣の方々は皆そのように認識をしていらっしゃる、そういうように評価していらっしゃる、そう考えてよろしゅうございますね。
○小川国務大臣 これは私がとやかく申し上げる立場じゃございません。恐らくおおむね同様の御認識ではなかろうかと推察をいたしております。
○有島委員 文部大臣、いまいろいろ問題になっておるこのことについては、文部大臣として、日本の教育界に向けて、内外に向けてでもよろしい、正式に日中戦争侵略戦争であったというような声明を発せられる、そういう御用意はありますか。
○小川国務大臣 ただいま特別に声明を発するというような気持ちはございません。

*1:家永三郎(1985)「戦争責任」岩波書店 p55-56